由緒

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当山の道祖「普明光」

 

当山の開祖であり道祖と仰ぐ「普明光(正しくは光へんに美/ふみょうこう/本名 岸本和一郎)」が53歳の時、内蔵が溶ける奇病に医師から見放され四国八十八ヶ所霊場に死地を求め巡礼中、五十八番仙遊寺にて病魔退散の奇跡が起き一命を救われました。それから「無い命と体を頂いた以上、今後は自分の命と体は自分のものではなく弘法大師のものである。しかし自分の心は大師そのままになり切ることはできないから、せめて大師の真似だけでもさせて頂こう」と深く決心し、報恩と衆生救済の為、全身全霊を捧げ尽くす厳しい修行に入り、時を経て仏から神へ、神から仏へ相互の繋がりが生じ、その都度大いなる仏力・神通力を授かるとともに、神仏両部信仰こそ人々が最も速く救われる道と覚ることとなりました。

 

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四国霊場58番に今も残る当時のご利益の絵

 

それから8年、御降臨という奇跡へ。

普明光が当山で断食修行をしていた昭和39年5月3日の朝、突如轟音とともに山が揺れ動き、山内の岩場で拝むその目の前に巨大な火柱が立つや宙に五色の光体が出現、それが山上の大きな岩に吸い込まれるように消えて行くという奇現象が起こったのです。その時神の声あり。「大元大御神今ここに降臨。ここに宮を建てよ。」との御神命が下されました。この現代に大神様が降臨されたのです。それから普明光を始め多くの方々のご奉仕により岩ばかりの山に道が拓かれ、5年の歳月のうちに社殿の建立が成し遂げられました。

この御降臨は、古代の天孫降臨(天照大御神の孫神が宮崎の高千穂に御降臨になったこと)に次ぐ導きの重大事として「第二の高千穂」と称えられるようになり、救われる信仰を広める世直しの拠点として大元神社となり今日に受け継がれています。

これほどの神々の御降臨と当山信仰の確立は、国常立尊の御魂を持ち、かつて明治天皇に仕え普明光を修行から支えた「普明光りょうしつのみこと」の導きによるとして、同神を当山の御支配神、御教えの御親として当山祈祷所に祭祀しています。

 

 

 

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